※長いので、興味がある方だけお読みください☆
カラーとの出会いから今(2021年春)に至るまでのストーリーです。
希望に満ちた日々、どん底生活、心の変化…
何かしてみたいけれどなかなか一歩が踏み出せない、そんな方に読んでみていただけたらと思います^^
本文に入る前に…
私ってこんなヤツというのを箇条書きにしてみます。こんな人が今好きなことやってるんだと思ったら、きっと勇気が出るはず^^;
〇幼少期・・・母が私を紹介するときの決まり文句は「この子は内弁慶で…」
〇小学生時代・・・自己表現ってどうやるの?授業中手を挙げて発表とかホント無理!
〇中学生時代・・・いじめられっ子の暗黒時代
〇高校時代・・・部活(演劇部)のために学校へ!?4年制大学全滅も、浪人がイヤで短大へ
〇短大時代・・・演劇サークルや海外研修は楽しかったけれど、やりたいことが見つからず、就職できないまま卒業
〇20代前半・・・自己嫌悪で落ち込む日々から一転、突然開き直って前向きに。アルバイトで費用を貯め、アメリカに短期留学。帰国後は女優を目指し、札幌のタレント養成所を経て単身上京するも、1年足らずで帰郷。自分の甘さ加減にまた落ち込む。
〇20代後半~30代前半・・・転職を繰り返し、ネットワークビジネスも経験。この時期に出会った人たちのおかげで、たくさんの学びや気付きを得る。いつの間にか嫌いだった自分を好きになり、この頃から晴れ女になった気が…(笑)
そして、カラーとの出会い。
目次
始まりは“興味本位”
色を学ぶきっかけになったのは、クーポン付き無料情報誌。おもしろそうな体験レッスンを見つけたので、とあるカラースクールに行きました。
もともと色は好きで、某ファストファッション店の色とりどりのフリースの棚を見てワクワクしたりしていたのですが、そのときはまだ本格的に勉強しようなんてまったく思っていませんでした。ところが…
1時間の体験レッスンが終わって帰ろうとしたら、スクールスタッフの方に呼び止められて、新しく開講するというカラーの総合講座を猛プッシュされたのです。私の他にも体験レッスンを受けた人はいたのに。
4部門に分かれたその講座は、48万円。1部門ごとの受講も可能でしたが、どうせやるなら全部学びたい…ついそう思ってしまったのがすべての始まりでした。
そんな感じでスタートしたカラーの学び。ファッション、インテリア、プロダクト、ビジネスの総合講座が終了する頃には、もっといろいろ知りたいと思うようになっていました。最初はまったく予定になかった色彩検定も1級まで取得。学生時代は勉強なんて全然好きではなかったけれど、好きなことについて学ぶって楽しいんだ…と知ったのもこのときです。
カラーセラピーとの出会い
スクールに通い始めてからも、ときどき気になる体験レッスンには参加していました。色やカラーセラピーの本はそれ以前から持っていて、知っていることはあったものの、実際に学ぶと、どんどん奥深さがわかってきて興味の幅も広がります。
カラーセラピーの体験レッスンを受けたとき、たった1本選んだカラーボトルからそのときの自分の状況(感情)を言い当てられ「すごい!」と驚いたのを覚えています。その後、スクールのイベントで校長先生のカラーセラピーフルセッション券が当たり、1時間しっかりセラピーをしていただく機会がありました。そこでさらに、色でそんなことまでわかっちゃうんだ!と衝撃を受け、おもしろさにはまっていったのです。
ひとつだけ公開すると…選んだ色の一部が自分の性格を表していたのですが、それまで短所だと思っていた部分がその色の質にぴったり当てはまっていて、「ああ、私はこの色の質を持っているから、仕方なかったんだ」と腑に落ちたのです。人から指摘されて反発していたことを、そこで初めて素直に改善しようと思えたことが、今でも忘れられません。
そのスクールで学ぶことができたのは、「センセーションカラーセラピー」というカナダ生まれのカラーセラピー。当時はカラーセラピーといえば「オーラソーマ」が有名で、主流だったように思います。100本以上のボトルを扱い、習得するのにも段階を経る必要があって大変そう…というイメージでしたが、センセーションカラーセラピーはボトルが10本しかなく、12時間の講義を受ければセラピストの資格が得られるため、あまり構えることなくやってみようと思えました。
ずっとやりたいこいとがわからずに生きてきて、仕事も続かない。そんな私が、ずっとやり続けたいと思えることに出会えたのですから、最初に総合講座を勧めてくれたスタッフの方には本当に感謝しています。それに、様々な角度から色を学んだことで、カラーセラピーへの理解も深めやすかったのかなとも思います。
私が講師に!?自己紹介も嫌いなのに??
今でこそ、人前に立って講座をしたりしていますが、もともとは自己紹介で自分の名前をいうのも大嫌いでした。緊張するし、何を話していいかもわからないし…。自分を人見知りだと思っていましたので、そんなの絶対ムリ!と。
そこを変えてくれた要因は2つあるのですが、その1つがカラースクールの講師養成講座でした。ある日、スタッフの方に「〇〇(校長)先生が、笹川さん受けたらいいのになあって言ってましたよ」と言われ、自分を変えたいと思っていた私は校長先生に相談してみることに。そして、いざ話し出すと、なぜか涙が止まらなくなり…。結局、講座を受けることに決めたのです。決断した後のスッキリした気持ちをよく覚えています。
講師養成講座は、毎回お題に沿って10分間の色に関する講座を披露するという内容。毎回「行きたくなーい」と思いながらの受講でしたが(緊張するので)、最終試験では嬉しい評価もいただき、無事終了することができました。
その後、ありがたいことに母の知り合いの方が人を集めてくださり、講師デビューを果たすこともできました。受講してくださった方々の反応も良く(優しい方ばかりで…)、ここからカラー講師としても活動していくことになったのです。
今でも人前に出るのは緊張します。でも、あるとき“人見知り”なのではなく“プライドが高い”だけなんだと気付いてから、少し気持ちがラクになりました。うまく話せなくても、失敗しても、死にはしませんから。
「おうちサロン」でスタート!
カラーの仕事を始めた当初は、かなりゆる~い感じでした。30代半ばで、「結婚したら旦那さまに稼いでもらって、私は自宅でカラーセラピーのサロンを開きたいなあ」と憧れを抱いていたのです。(彼氏もいないのに)
この頃ちょうど父が定年退職し、田舎で家庭菜園できるようなところ(現在の自宅)に引っ越しを…というときでもあり、新しい家で2階の広い部屋を私が使わせてもらえることになりました。まずそこでおうちサロンを!と、最低限の家具を用意し、ハーブティーのブレンドを作り、「ちょっとだけ田舎のおうちサロン『Smile Farve(スミールファーウ)』」を始めることに。(”Smile Farve”は、デンマーク語で“色のほほえみ”)
でも…知名度まったくなしに加えて、車がないと来づらい場所でもあり(バスはあるけれど)、おうちサロンに来てくれたのはごく数人の友人のみ。普通に働く傍らだったので、ゆっくりやっていけばいいと思っていました。…がしかし。
近所には野良ネコが数匹いて、放っておけない母が餌をあげていました。その野良ちゃんたちが産んだ子ネコを連れてくるようになり、私の部屋(兼サロン)がネコ部屋になったのです。里親さんが見つかるまでの間、可愛い子ネコたちに囲まれる生活(ある意味パラダイス♪)。もともと本格的にカラーのお仕事をしていたわけではなかったので、それをきっかけに、ちょっとお休み期間に入るような形になりました。
輸入ビジネスとの出会い!そして新たな夢が…
知人のFacebookの記事を見て、1冊の本を購入したことがきっかけで、ある方のメルマガが届くように。「何、いきなり。この人全然知らないし…」と思いながらも、読んでみたらおもしろかったので、そのまま解除せず読み続けていました。
ある日、そのメルマガで紹介されていた“輸入の神様”と呼ばれる人物の講座。添付の動画を見ると、何だかとてもおもしろそう…。東京で説明会があるみたいだけれど、8月の飛行機がめちゃくちゃ高いとき。その日まであと2週間という夜、どうしても気になってもう一度説明会についてのメールを読みました。あまりに落ち着かないので、思い切って申し込み。よし、これで眠れる…と思いきや、やっぱりソワソワ落ち着かない…。えーい、飛行機も今とっちゃえ!…でも結局、まったく気持ちは落ち着かず、その夜はほとんど眠れなかったのです。
そして、忘れもしない2015年8月6日。説明会当日に受講を決意し、オンラインのプレ講座、4回の東京での本講座を経て、翌年1月に単身フランスで開催される国際見本市へ。“雑貨のパリコレ”ともいわれるその展示会でのワクワク感は半端なくて、「私これ絶対仕事にしなきゃダメでしょ」と思ったことを鮮明に覚えています。
心がときめく素敵な輸入雑貨を自分で買い付けて販売する…“カラーセラピストセレクトの輸入雑貨店”を開くことが、私の大きな夢になったのです。
まさかの起業!個人事業主で再スタート
まだ自分の方向性が定まる前のあるとき、カラースクールで一時期一緒だったある女性との再会がありました。スクールでは一言二言交わしたことがあるだけで、顔見知り程度の仲だったのですが、再会からしばらくして、親しくお付き合いさせてもらうように。彼女のまわりには、本人やご主人をはじめ、個人で技術を持ってお仕事をしている人がたくさんいて、そんな人たちと知り合ううちに、いつの間にか自分も…という思いが沸き上がってきたのか…。2017年1月28日付で開業届を出しました。(彼女には今でも刺激をいっぱいもらっていて、憧れの存在です♡)
カラー+雑貨輸入になったので、屋号も『Varme Smil(ヴァーメスミール)』(デンマーク語で“温かい笑顔”)に変更。でも、すぐに生活できるだけの収入をカラーの仕事から得るのは難しい…。とはいえ、もっと自由に使える時間が欲しいと思い、当時やっていた派遣の仕事を辞めて、自宅でできる仕事で収入を得ながらカラーの仕事をしていこうと考えました。
ところが、それが悲劇の始まり。十分な資金もなく、物事を見極める目も未熟なのに、ネットビジネスに手を出してしまったからさあ大変。自分はそうはならないと思っていた状況にがっつりはまってしまったのです。ネットビジネスの塾に授業料(もしくはツール代)を支払う→うまくいかない→回収しようと、別のネットビジネスの塾に申し込む…以下繰り返し。返金できたところもあるものの、収入がない中で、カードの支払日は容赦なくやってきます。朝起きた瞬間から恐怖心でいっぱいの日々。どうにかまた派遣の仕事を見つけて落ち着きを取り戻し、いつか笑い話にしてやると心に誓ったのでした。
その後は、どうせ働くなら将来の夢に近づけることを…と、カフェスタッフに転身。カラーの仕事は細々と続けていましたが、輸入はトルコのメーカーから布雑貨のサンプルを取り寄せたところでストップしたまま。先が見えない状況が続きます。
ミセスコンテストにチャレンジ!
そこから3年。人生初のぎっくり腰を機にカフェを辞め、近所に新しくできたビジネスホテルのフロントスタッフとして働き始めました。そこで、「カラーセラピー付きの宿泊プランを作って、ラウンジでセッションや講座をやってもいいね」という話にもなったのですが、直後に新型コロナウィルスが大暴れ。
そんなとき、使っている化粧品の会社がメインスポンサーのミセスコンテスト(ミセス・グローバル・アース北海道大会)の出場者募集がありました。コンテスト自体はちょっと前からあるのは知っていて、ビューティーキャンプの講師に応募するつもりでいたのです。でも…「本当にそれでいいの?」という声が、私の奥から聞こえてきて。友人の後押しもあり、結局出場者としてエントリー(応募)することに決めました。
思えば、今回のチャレンジの最初のきっかけになったのは、小さい頃に言われた親戚の一言だったのかなと思います。「えみは大きくなったらミスユニバースだね」。両家の初孫だったこともあって、親戚中からとても可愛がられて育った(らしい)私。でも、成長するにつれて、「ミスコンに出るほど(美人)でもないな」と思うようになり…。それでも、心のどこかでずっとチャレンジしてみたい気持ちがあったんだろうなと思います。
やるからには部門グランプリ目指そう!と意気込んではみましたが、経済は底辺続行中。ビューティーキャンプ外の有料講座や講師の方のサロンなどにはほとんど行けず、自分でできる範囲のことを頑張るしかありませんでした。そんな中でも、ダイエットは大成功!自己紹介動画を作成したり、14㎝のヒールでウォーキングしたり、初めての経験もたくさん。ファイナリストの方々も優しくて素敵な方ばかりで、刺激や学びがいっぱいの半年間でした。
結果は入賞ならずでしたが、チャレンジするという決断は間違っていなかったと思えました。もっと努力できたはず…そういう気持ちも正直ありますが、大会本番の約1週間前。人生の大転換期!?ともいえる出来事があったため、悔やんだり落ち込んだりしている場合ではなくなってしまったのです。
突然の提案…私が社長に!?
ミセスコンテストチャレンジ中、収入を増やすためにクラウドソーシングの仕事を探したりもしていました。そのとき会計ソフト入力のお仕事を受けたのがきっかけで、本州のある会社から継続してお仕事をいただくように。その会社の社長(といっても1人会社)が北海道にも取引先があるからと、2020年秋、札幌にも会社を設立。そして、なんと、その会社で私がやりたいこと(カラー&雑貨の輸入販売)を新規事業としてやってみたら?というのです。しかも「社長」として。
個人事業主とはいえ、ゆる~くやってきたので経営の基盤はゼロ。でも、このままアルバイトしながらちょこちょこカラーの仕事を続けていても、夢を叶えるには程遠い…。不安やプレッシャーはあるけれど、野望のためには思い切るしかない!というわけで、お話を受けることにしたのです。
悩んだ末に…再び個人事業主に
こうして、社長(合同会社なので、正確には代表社員)としてのスタートを切ったわけですが、この肩書を長く使い続けることはありませんでした。
就任からたった4ヶ月ほどで辞任し、もとの個人事業主に戻ることになったのです。この間にはもの凄くいろいろなことがあった気がするのですが、文字にすると、あっという間ともいえる期間ですね。
そのうち体験談としてお話しできるようになるかもしれませんが、今は詳細を記すことはできません。
ただ言えるのは、ビジネスは何をやるかも大事だけれど、誰と組むかは本当に大事!だということ。決して悪口を言いたいわけではなく、努力だけではどうしても補いきれない相性というものもあるということです。
それでも、このことがあって、「私ってなんて幸せ者なんだろう!」と思えたのも事実。以前から、私って人に恵まれてるなあとは思っていましたが、心から私を心配してそばにいてくれた友人たちや、相談に乗って励ましてくれた方、仕事を紹介してくれた方…もう本当に感謝しかありません。
経験はすべて財産。無駄なことなんてひとつもなくて、どう生かすかは自分次第。諦めなければ夢は叶う!“私だからできること”を今もまだ模索中ではありますが、確実に前進していると感じています。
始まったばかりの“風の時代”。これからは誰もが個性を活かして輝ける時代です。人生は楽しんだ者勝ちですから、どんなことがあっても最後に笑いとばしてしまえればいいじゃないですか♪
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡
2021年5月16日(ゴー!イロの日) 咲凛
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